
「母にリハプライドのような場所があれば…」
そう思ったことが、すべての出発点でした。
私には、どうしても譲れない“想い”があります。
それは、人生の先輩たちが、人生の最後まで“誇りを持って生きてほしい”という願いです。
その想いの原点は、母の姿にありました。母は、ずっと元気で、地域のカーブスに通っていました。自分の足で立ち、自分のことは自分でやり、明るく、生き生きと暮らしていました。でも、ある日を境に、その日常が崩れました。足の不調で歩けなくなり、病院へ行き、そのまま“介護施設に入所”という流れになったのです。
もうカーブスには戻れませんでした。自分の足で立つことも、好きな時間に出かけることもできなくなりました。母は、どこかで静かに、“自分の人生が下り坂に入った”ことを受け入れているように見えました。
その姿を見ながら、私は心の中でずっと問い続けていました。「歩けなくなったら、人生はただ“終わりを待つ”だけなのか?」「回復する場所は、どこにも用意されていないのか?」私の母に、もし “もう一度歩ける場所” があったなら──きっと、人生の最後まで、もっと自分らしく生きられたかもしれない。それはきっと、母だけの話じゃない。これから高齢化するすべての日本人に共通する問題なのだと気づきました。
実は私は、広島商業で野球部に所属していました。毎日厳しい練習に耐え、甲子園を夢見てグラウンドに立ち続けました。ですが、思うような結果は出ませんでした。
でも今、思うのです。あのときの自分にとって、何より大切だったのは「試合に出ること」ではなく、「毎日、汗と泥にまみれながら練習を重ね、自分のプライドを守り抜くこと」だった。最後までやりきったという誇り。それが、あの青春を、“美しいものだった”と今でも思える理由です。
だから私は、母を含むすべての人生の先輩たちに、人生の最期にも、あのときの自分のように「誇りを持って立ってほしい」と思ったのです。誰の力も借りず、自分の力で、立てること。歩けること。自分の足でトイレに行けること。孫と散歩に行けること。「ありがとう」と笑えること。それは、介護ではなく、“回復”という希望でしか実現できない。リハプライドは、そんな「もう一度立ち上がる場所」として生まれました。介護とは、人生の終わりを待つ場所ではなく、再出発の場所であるべきだ。この想いこそが、私の原点です。だからこそ、リハプライドの名前には、“プライド=誇り”という言葉を込めました。人生の最期にも、人は尊厳を持って立てる。そのことを、私は母の人生と、野球から学んだのです。
誰もが、自分らしく、誇りを持って生きられる社会をつくるために。
私たちは、“回復”の力を信じています。
その想いに共感してくださる方と、これからの日本を支える新しい仕組みを広げていきたい。
リハプライドの仲間として、一緒にこの志を形にしていきませんか?
あなたの地域にも、「もう一度立ち上がれる場所」を──。
リハコンテンツ株式会社 代表取締役社長
一般社団法人日本フランチャイズチェーン協会理事
山下哲司
医療福祉学博士
(介護福祉・ケアマネジメント学)


















































